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能の観世流と梅若流の関係って?演目で違いがあるの?


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能のシテ方は、5流派と言われ、
観世、宝生、金春、金剛、喜多
有名ですね。

ところが、昭和の初期の一時期
「梅若流」という
流派が存在したのです。

今、人間国宝のシテ方に
梅若玄祥がいます。
梅若という名字ですが、
観世流に属しています。

梅若流と観世流は
どのような関係なのでしょうか。

そして、梅若流はどのような経緯で誕生し、
そして、消えたのでしょうか。

調べてみました。

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 梅若流とは?観世流との歴史を解説!


出典:http://soxis.blog112.fc2.com/

梅若流は、大正14年から昭和29年までの
約30年間だけ存在した
能楽のシテ方の流派です。

観世流から、梅若万三郎
54世梅若六郎
6世観世銕之丞

離脱して創設しました。

観世流は、観阿弥を祖とし、
その子である世阿弥が後を継いだという
古い伝統のある流派です。

観世流は、室町時代より幕府の保護を受け、
徳川家との縁も深く、
江戸時代には、能楽の流派の中で
筆頭の位置を占めていました。

そのため、明治維新期、
観世宗家は徳川家とともに
静岡に本拠を移します。

一方で、明治維新により、
大名家というパトロンを失った能楽界は、
大変厳しい環境に置かれていました。

その厳しい時期に東京で
能楽を守り続けたのは、
観世流の初世梅若実と5世観世鐵之丞でした。

梅若実は、自宅の舞台で演能を行い、
能を一般に有料で公開するなど
能楽復興に努めます。

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そして、梅若実は、弟子に対して、
独自に能役者としての免状を
発行するようになりました。

これが観世流の内部で
問題視されるようになります。

それでも実の存命中は、
能楽復興に勤めた功績とその実力から、
観世流側も表立った動きを
見せませんでした。

しかし、初世梅若実が他界すると共に、
観世宗家と梅若一門との間での
免状問題が再燃します。

様々な形で調停は試みられたようですが、
結局、1921年には、梅若一門の
54世梅若六郎、梅若万三郎、6世観世鐵之丞が
観世流から除名されることとなりました。

そして、この3名が中心となり、
新たに梅若流が誕生したのでした。

観世、梅若の紛争は、
「観梅問題」と呼ばれるほど
世間で知られることになりました。

しかし、長年、タブー視され
公の場で語られることはなく、
二つの流派の間で実際に何があったのかは
明らかにされていないのが実情です。

梅若流と観世流が力を合わせて
発展するように、様々な形で調停が行われ
結局、昭和29年に能楽協会の斡旋で、
梅若流の一門は、観世流に復帰しました。

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梅若流の宗家、初世梅若万三郎とはどんな人?


出典:http://www.kahans.com/

観世流を離れた後、
梅若一門は集会を開き、
以後は梅若流として
活動していくこととします。

しかし、早速、
誰を家元とするかという問題が発生します。

当時の梅若一門の中心は、54世梅若六郎、
梅若万三郎、6世観世鐵之丞の3人でしたが、
弟子たちは自分の師匠を家元にしたい
考えます。

梅若万三郎と梅若六郎は、
明治期に活躍した梅若実の息子で実の兄弟。
観世鐵之丞は観世分家の当主であり、
梅若万三郎、六郎の実の妹を
嫁にもらった義兄弟です。

こういう縁戚関係も、
流派内部の力関係に影響します。

結局、梅若万三郎が家元となることで
決着しました。

梅若万三郎は、初代梅若実の長男で、
父親に師事します。
その芸風は、
「華麗で輪郭の大きい強靱な演技」
と評され、
明治・大正・昭和に渡る名人と呼ばれました。
昭和21年には文化勲章も受賞しています。

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梅若流はどうして途絶えたの?ワキ方や囃子方が共演拒否!?


出典:http://orientai.seesaa.net/

観梅問題を発端にスタートした梅若流ですが、
独立直後に関東大震災が発生し、
梅若六郎家は能舞台を失ってしまいます。

震災後の厳しい状況が梅若流にも影を落とした上、
ワキ方・囃子方・狂言方三役からの
強硬な反対にもあいました。

梅若流は、シテと呼ばれる、
主役を演じる流派ですが、
能は決して主役一人で
成り立つものではありません。

相手役を務めるワキ方がいなければ
公演は成り立ちませんし、
太鼓、鼓、小鼓、笛の四拍子と呼ばれる
囃子方も必要です。

また、公演を開くとなれば、
能の演目の間に一息つけるような
ユーモラスな話を見せる狂言専門の
役者の協力も必要になります。

つまり、ワキ方、囃子方、狂言方の
協力を得られなければ、
満足に公演が開催できないのです。

賛同が得られない梅若流は
苦しい立場に
立たされることになりました。

そして、観世鐵之丞は
昭和4年に観世流に復帰し、
家元の梅若万三郎も
昭和8年に観世流に復帰します。

そして、54世の梅若六郎のみが
梅若流に残されました。

54世梅若六郎のもとには、
各地から、観世流への復帰を仲介する声がかかりました。

しかし、54世は自分の代で
観世流に復帰するのでは筋が通らないと
これを拒みます。

戦後は、この問題に
GHQが介入することも
あったようです。

結局、梅若流の独立問題は
戦後発足した能楽協会の斡旋により、
昭和29年に、梅若流が観世流に合流したことで
解決をみたのです。

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