歌舞伎の名門の家といえば、みなさん、
どんな苗字を思い浮かべますか?
「なかむらや〜!」と掛け声がとぶことが
多い気がするから中村?
市川團十郎といえば、歌舞伎の一番の名跡だから
市川?
この二つの家、どういう関係があるのでしょうか?
歌舞伎界の相関図!中村家と市川家ってどんな関係?
そもそも中村家と市川家とはどんな家なのでしょうか?
中村屋の中村家は、中村勘三郎から始まります。
中村勘三郎とは、江戸時代に幕府の許可を得て開かれた
芝居小屋の一つ中村座の座元。
今でいうと、劇場の支配人でもあり、
芝居のプロデューサーであったのです。
中には、役者と兼務して舞台に立つ人もいたようですが、
基本的には座元の名前。
幕末の頃からは実際に名乗る人は
いなくなりました。
昭和に入り、これを役者名として復活させたのが、
17代目の中村勘三郎です。
ここから、現在、勘九郎・七之助兄弟が活躍する
中村屋が始まったのです。
一方、市川家といえば、江戸歌舞伎を代表する名前の
團十郎の名前を代々継いできた家柄。
屋号は成田屋。
勇敢で超人的なパワーの主人公の役柄
「荒事」を代々継承しています。
つまり、中村家と市川家は、江戸時代には
勘三郎が経営する舞台に、
團十郎が出演していた関係だったのです。
このほか、中村の苗字を名乗る家に、
成駒屋(家)があります。
関東の成駒屋は、芝翫を襲名する中村橋之助、
関西の成駒家は、中村鴈治郎、中村扇雀が
現在の中心の役者ですね。
四代目の中村歌右衛門が、
四代目の市川團十郎から
成駒柄の着物を贈られたことに感謝して、
成駒屋としたそうです。
実は深い関係があるのですね。
他にも、中村獅童、中村時蔵など萬屋一門も
中村姓を名乗ります。
また、市川を名乗る家に、澤瀉屋
があります。
猿之助さんの一門ですね。
初代の猿之助は、團十郎の弟子で、
その後、独立して澤瀉屋となりました。
中村家と市川家!家系的にはどっちが格上なの?
まず、成田屋の市川家は別格といわれます。
市川宗家といわれるくらい
その長い歴史と数々の事績から、
最も権威のある名とみなされています。
新しい歌舞伎座が開場した際も、
その直前に十二代目の團十郎が他界された為に
「團十郎が舞台に立たない
歌舞伎座開場なんて・・」
という声が多数出たほどでした。
中村家も、江戸時代から代々続く名門の名前ですが、
役者の名前ではなかった・・ということから
市川家とは位置づけが異なるんですね。
歌舞伎界の家のランクはどうやって決まるの?
前述の通り、成田屋市川家は別格です。
さて、その次のランクといえば、
江戸時代から続く家々となるでしょうか?
松本幸四郎の高麗屋、
尾上菊五郎の音羽屋
中村勘三郎の中村屋
中村歌右衛門・芝翫の成駒屋
などが上げられますね。
代々、主役級を演じる家と脇役系の家がありますが、
主役級を演じる家が格上となると思います。
ただし、実際は、役者の実力、
つまりお客さんを呼べる力で
ランクは決まってきます。
いわゆる歌舞伎の名門といわれる家に
御曹司で生まれれば、
物心つくか、つかないかの時期から舞台に立ち、
歌舞伎に必要な踊りや演技の訓練も
小さいときからミッチリしこまれます。
そういう意味では、名門の御曹司は、
若いときからファンが付きやすいですし、
大役を務めるチャンスにも恵まれるので、
自然と実力も伴ってきますね。
一方で、歌舞伎以外の家庭で育った
坂東玉三郎が
その美しさと実力で
多くのお客様を集め、
人間国宝にもなりました。
最近では、やはり一般家庭育ちの
片岡愛之助が人気ですね。
いくら、名門家に生まれても、
技術を磨かず
お客様にソッポを向かれるようでは
舞台に出る機会も減ってきてしまうでしょう。
代々続いた名前に胡坐をかいては
いけないのです。
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