歌舞伎の幕といえば、みなさん、
黒・萌葱(緑)・柿(オレンジ)
の3色の縦縞がすぐに思い浮かぶのでは?
お菓子の「歌舞伎揚」やお茶漬け海苔のパッケージも、
この配色ですので、おなじみですね。
3色の幕は定式幕と言われるものです。
この定式幕、実は、劇場によって
色の組み合わせが違うのです。
歌舞伎のイメージである定式幕の色の意味とは?
定式幕とは?
歌舞伎では、演目によって様々な幕が使われます。
定式幕は「常に使われる幕」といった意味で、
芝居の幕開きと終幕に使われます。
定式幕が、下手から上手に向かってひかれると、
幕開きですね
新歌舞伎と呼ばれる、明治以降に作られた演目では、
下から上がる緞帳が使われます。
明治以降は、オペラなどの西洋演劇の影響を受けて、
緞帳式の幕が使わるようになりました。
江戸時代は、幕府が許可した芝居小屋のみ
引幕の使用が許可されていませんでした。
江戸では、三つの芝居小屋だけが歌舞伎の興行を許され
定式幕を使用していましたが、
それぞれ、色の組み合わせは異なりました。
定式幕の色の意味とは
どの劇場でも、定式幕に使われる色は3つ。
陰陽五行の考えに基づいた5色
赤・白・黄・青・黒のうちの
3色が用いられています。
座元は、興行の「当たり・外れ」を
非常に気にします。
神仏に願う意味もこめて、
神聖な色合いを選んだのでしょうか。
各座の定式幕の色は?
江戸中村座
中村座は、1624年、猿若勘三郎(初代・中村勘三郎)が、
今の京橋の辺りに創設した劇場です。
当初は、猿若座と称し、その後、中村座と改称されました。
中村座の定式幕は、
左から黒・白・柿色の組み合わせです。
初代の中村勘三郎が、
幕府の御用船『安宅丸』が江戸に入港する際、
得意の木遣りで艪漕ぎの音頭をとり、
巨船の艪の拍子を揃えた褒美に
船覆いの幕を拝領したものが始まりとされています。
これが黒と白の配色だったようで、
その後、黒・白・柿色が中村座の定式幕となりました。
白は中村座に限って
幕府から特別に許された色だったそうです。
2005年の18代目中村勘三郎の襲名披露興行では、
歌舞伎座に黒・白・柿の中村座の定式幕が使われました。
期間限定で設営されて歌舞伎を上演する「平成中村座」でも、
この黒・白・柿の3色の幕がかかっていますね。
江戸市村座
市村座は黒・萌黄・柿の配色です。
昭和41年(1966年)に会場した国立劇場では、
市村座定式幕が使用されています。
江戸森田座
森田座は黒・柿・萌黄の順序でした。
現在、歌舞伎座の定式幕は、
黒・柿・萌黄の森田座式を踏襲しています。
明治維新は、歌舞伎の興行にも影響を与えました。
江戸時代には、歌舞伎の芝居小屋は「悪所」として
知られていました。
新政府は、歌舞伎を、西洋のオペラのように
上流階級の人々も観劇する場所に変えていこうと試みます。
守田座の座元である12代目の守田勘彌は、
政府の意向を受けて守田座を新富町に移転して、
ガス灯などを配備した西洋式の近代劇場を新設し、
「新富座」と名付けました。
新富座では、歌舞伎を興行するとともに、新たな演劇も試みました。
勘彌は、歌舞伎座が開場した際には
中村座・市村座・千歳座と連携して「四座同盟」を結成し、
歌舞伎座に役者がでられないように仕向けるなどしましたが、
後には内紛で揉めた歌舞伎座に招聘され、座頭となりました。
その、どさくさに、歌舞伎座の定式幕に
自らの森田座定式幕をちゃっかりと転用して定着させたと
いわれています。
歌舞伎座や国立劇場以外でも、歌舞伎が興行される舞台には
三色の縦じまの幕がかかっているはずです。
どの座と同じ色の組み合わせか、意識して見てくださいませ。
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